モロッコ

オートアトラスの肖像

水 野 秀 彦   写 真 展

堀内フォトサロン大阪


「羊飼いの少女」 タムダ/モロッコ 1992 Hidehiko Mizuno


  決して豊かとはいえないモロッコ山岳地方の生活。しかしそこに住む人々の笑顔は少しもそんなことは感じさせず、むしろ幸せそうに生きている。 便利さとか快適さからはかけ離れた質素な生活の中に、本当の豊かさとはいったいなになのかをつい考えさせられてしまう。

「物貰い」 アジラル/モロッコ 


「土の家の老婆」 アイトボゥグメズ/モロッコ 

 土をつき固めて積み上げるベルベル人の家は、それでも100年以上保つものもある。べルベル人の女たちは農作業に従事し、そして家を守る。


 オート・アトラスは、北アフリカ・モロッコの中央を横切る山脈の名である。この国にある4つの山脈のうち、もっとも高いところをオート・アトラス(高アトラス)と呼ぶ。

 オート・アトラス山脈の連なりは東西に800kmにも及ぶ。標高3000mを超える山岳は400座を数え、最高峰のトゥブカル山は4165mに達する。春が終わってもなお多くの雪を残し、灼熱と乾燥のモロッコ内陸部とはまた違った自然の厳しさがある。

 そんな山の中にも、ベルベル人と呼ばれるモロッコの先住民族の生活がある。彼らは厳しい自然と闘いながら、農作物を作り、またあるいは山上の遊牧生活をおくり、現代の文明から遠く離れた土地で、便利さや快適さとは無縁の質素な生活を今も続ける。

 「モロッコ」 この国の言葉アラビア語ではマグレブといい、「日の沈む国」を意味する。 7世紀頃からイスラム教徒ともに進入してきたアラブ人により、イスラムの王国が築かれたことが国の歴史の始まりである。  今では先住民族のベルベル人も含め、99%までが回教徒となっている。 1912年フランスの保護領となり、40年あまりの間植民地とされた。独立した現在もなおフランスの影響が強く、カサブランカをはじめとした大都市は、ヨーロッパの街と変わらないほどにまで変化を遂げている。しかし都市部の発展と裏腹に山間部や南部砂漠地帯の生活水準は低く、都市との格差は広がるばかりという現状は、現在モロッコの持っている大きな問題のひとつである。

オートアトラスへの道

 造園の技師として任地アジラルについたのは1990年8月も末のころ。名前も聞いたことのないこの街は、ただ新しい県庁が置かれたというだけの小さな街。15分も歩けば街からはずれ、街の外には何の特徴もないなだらかな起伏の荒れ地が広がっていた。

 標高1400m。オート・アトラスの裾の部分に位置するアジラルからは、高い山脈の稜線はそれほど遠くはないはずなのに、どちらの方向を見ても同じ景色が続くだけ、その先はぼんやり霞んで消えていた。 だが、オート・アトラスはすぐそこに存在していた。ぼんやり霞んだその先に、これほどすてきな世界が広がっていようとは、次の春がくるまで想像もできないことだった。

 はじめてアイト・ボグメズの谷にたどり着いたときの感動はとても言葉では言い表せない。いくつもの高い峠を越えたアトラスの山中奥深くに、これほど広く潤った場所がある。そしていくつもの集落が続き、ベルベル人が昔ながらの生活をおくっている。  まさしくここはモロッコの桃源郷であった。 週末休みを利用して、幾度となくオート・アトラスの山村を訪れた。多くのベルベル人と知り合い、多くの景色に出会い、いくつもの感動や発見があった。 

 今では遥か遠い道となってしまったが、自分の撮った写真を見ていると、3年間のオート・アトラスの出来事が、ついこのあいだのことのように思われてしかたがない。


「名もない岩山の風景」 アイトボゥグメズ/モロッコ

長い年月の大地の歴史。 その中で生きる人間の営みは力強くとも、なんと小さく短いことか。



1998年7月21日(火)〜 8月1日(土)
堀内フォトサロン

     入場無料

開 館 時 間  午前10時00分〜20時00分(最終日14時まで)

休 館 日  日曜 祝日 毎月第2・第4土曜日

住   所